災害から守る人間的な知恵》
私自身は太陽の光、風、湿気など、自然の環境に逆らうことなく、自然のシステムによく合った家のつくりを、長い経験から導き出したルールが、家相の基本にあるのではないかと考えます。つまり人間にとって健康的で、さまざまな災害から家を守るための知恵が、家相と言えると思います。

二つほど例を挙げてみましょう。

倉(蔵)は俗に言う巽倉(たつみくら=南東)と乾倉(いぬいくら=北西)を大吉とします。とくに乾倉は大吉相といいます。

日本の冬は、北西の風が強く、木造建築であった時代は、一番火災を恐れたことでしょう。

北西の位置に、母屋よりも少し高めにつくれば(少し高めが吉)、延焼は免れやすく、大事な物の持ち出しも、風上ゆえにより可能となります。

まさに倉には適しており、この点に関しては家相は正しいと言えます。

南の庭の中心の池は凶と言われています。それでなくとも高温多湿の日本ですから、南の風にのって池の湿気が室内に入りこむことは、健康面でも建物自体にもあまり好ましいとは言えません。
このように家相の中には、自然のさまざまの力を分析し、より合理的で健康的な家のあり方を述べているものが多くあります。

しかしながら、極端な人間の生死の事、本人の不注意による事故までも、家相に表われるがごときの諸説に対しては、私個人は疑問に思います。

そこで一つエピソードを。弁護士の施主M氏の住宅を設計した時のことです。平面計画は合理的になりますが、どうしても表鬼門に勝手口を配置しなければならなくなり、家相上問題があり悩んでいました。

するとM氏いわく「何か事故を起こした時、裁判官に“きょう鬼門の玄関から出ましたので、このような事態になってしまいました”と言って法律家が許してくれるほどの合理性は、どう考えても見つからない。プランが合理的なら一向に構いません」とおっしゃいました。

法律という合理的なルールに日常接している人には、家相も適用しません。M氏は表鬼門の勝手口にもかかわらず、元気に活躍されています。

人間はとかく悩んだ時、迷った時、何かに頼りがちです。十分にいろんな角度から検討し、二者択一を迫られた時には、家相の吉の方を選ぶぐらいのとらえ方で、私は良いと思っています。

又、数年前、精神的に不安定な方から住宅の依頼があり、どれだけ打ち合わせを重ねて説明しても、非常に住みにくい案を希望され、結局自信がなくて断わる結果となったことがあります。そしてその案はいわゆる「家相」的にかなり悪い案でした。

確かにその人の物の考え方が家相に表われることもあり、その思考方法がそのまま家業や日常生活に表われてくるようにも思われます。つまり家相が悪いから、いろんな事柄が結果として出るというよりも、悪い結果の出るような物事の考え方、生活態度の人は家相的に悪いことを好むことがありがちであるということでしょう。

極端な言い方をすれば、家相が絶対的なものであるならば、良い家相の家は一つしかないはずです。もし敷地が狭くて不可能ならば、借金をしてでも敷地を買い直して建てれば商売繁盛し、幸福な家庭ができるはずです。しかし、どうもそれほどまでには家相にご利益があるようには思われません。ただ良い家相の家に住んでいるという自信、安心感が良い結果を生むことはありえます。

このような心理的効果も生じますから、私なりの家相の吉凶、そして今日の時代には即さないであろう家相を書いてみます。
 
外形の吉凶
仏壇の方位の吉凶

平面全体の形は、なるべく出っ張りや欠け込みの少ない方が雨漏りや仕上げにおいても耐久性があり、良い形です。ですから欠け込みが凶というのもうなずけます。しかし、玄関ホールの雰囲気作りなど、少し変化を持たせた方が快適な空間が演出できますから、今日の耐久性のある材料を使用すれば、少しの欠け込みは楽しく暮らすためのテクニックと考え、吉としてもよいのではないでしょうか。

出っ張りには種々の吉凶があります。南東の出っ張りは吉とされ、南西の出っ張りは凶とされています。

暖房のない時代、冬の日差しは貴重なものです。午前中の南の光を十分に受ける南東は、気分的にも豊かな場、方向であり、この方向の部屋の確保はやはり大切でしょう。

一方、南西の出っ張りは、正午を過ぎると中心部の部屋に建物の影を落とし、家全体を暗くしがちです。夏至の6月より8月の方が暑い日々が続くように、太陽の光も正午よりも2時ごろが一番強く感じるものです。南東の出っ張りによる中心部の影は、日の力も弱く苦になりませんが、南西の出っ張りは、強い日差しの中での影ですから凶と言えるでしょう。

その他の出っ張りは主に北西の風や雨を考慮したもののように思われます。凶とされる方向の出っ張りはそこで風が巻き建物をいためたり、雨の時乾きの悪い部分、雪の解けにくい部分をつくりがちです。木造の建物の場合は特に耐久性を損なう結果になるでしょう。


夕刻、岐阜から西に向い、揖斐川を渡る時、伊吹、養老の山並みがシルエットとなり、美しい夕日を目にすることが多くあります。信仰心の浅い私でも、敬謙な気持ちと、西方浄土を感じるものです。ですから北西(あるいは西)に仏壇を据え南東(あるいは東)に向けるのが吉ということは、人間の自然な信仰心からみても理解できます。また仏壇の上部を人が踏みつけなくすることも、先祖を敬う日常的な心掛けとしても大切なことでしょう。
台所の吉凶
台所はやはり「かまど」の位置が主に考えられていると思います。南東に向って立つかまどは吉、北西は凶と言われています。南東の位置に、南東に向けてつくれば、北西の風の多い日本にあっては、火事の時一番家への延焼が少なく、やはり吉でしょう。現代の台所も同じことが言えるでしょう。西の台所は、火事もさることながら、換気扇などの排気においても、支障をきたしがちです。

火口が道路から直接見えるような所は凶とされていますが、入り口を開けた時、急に風が吹き込み危険でもあり、やはり戒めているのでしょう。その他の吉凶も、かまどの残り火の点検など、災害を考慮したものが多いようです。
玄関位置の吉凶
便所の吉凶

ある建築家の対談の中で、「伊那谷(長野県にある南北に長い谷)の朝日は西からのぼる」ということが語られていました。つまり深い谷間は、北西の山々に朝日が当たり、夜の明けたことが分かるということです。一日の社会生活の始まりは朝、玄関から出ることから始まります。朝日の当たる明るい南東は一日の始まりとしては最適でしょう。そして、その反射光としての北西も先述の谷間の例のごとく、次に明るい位置となります。南東、北西が吉ということは、このような意味からもうなずけます。


東西南北の四つの中心(四仲)と、北東、南東、南西、北西の四隅は、神様が鎮座まします清浄な方位として、不浄物は忌み嫌います。宗教的な意味もあり、物事の秩序を大切にすることからも、やはり避けるべきでしょう。浄化槽などの普及により、随分と衛生的になってきましたが、換気などを考えれば、明るく、湿気の少ない、真東を避けた東方向がやはり一番よいように思われます。